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大阪高等裁判所 昭和57年(く)139号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、申立人作成の抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用する(なお、以下「被疑者」の表示を省略する。)。

所論は、要するに、「原決定は、高橋一通(本件当時大阪刑務所看守部長)が申立人所携のボールペンを取り上げようとした行為を正当な職務行為と認めるとともに、長野博(本件当時同刑務所看守)が申立人の左顔面を一回平手打ちし、その両肩を押えて制圧した行為についても、適法な職務行為の範囲を逸脱したものとはいえないと判断したうえ、申立人の請求を棄却している。しかし、申立人は本件当時、腰なわと両手錠で拘束され、第三者に危害を加えるような行動に出ること自体不可能に近かつたばかりでなく、高橋・長野の両名において腰なわを引張りさえすれば、申立人の危険な行動を防止できる状況にあつたことを考慮すれば、両看守の所為は到底正当な職務行為と評価できず、いずれも刑法一九五条二項の罪を構成することが明らかであるから、原決定には、両看守のとつた行為の正当性を判断するうえでの前提事実の認定・評価を誤つた違法がある。」というのである。

そこで、所論にかんがみ、一件記録及び関係記録を調査・検討するに、原決定が「当裁判所の判断」と題する部分の二の(一)で判示している事実経過(原決定書二枚目裏八行目から四枚目表の末行まで)は、当審においてもこれを肯認することができる。

ところで、原判示のような事実経過に照らせば、高橋看守部長が申立人所携のボールペンを取り上げようとしたのは、刑務官の職責を遂行すべき立場にある者として当然の行為に出たものというべきであり、これをもつて違法な有形力の行使という余地のないことは明白である。

一方、長野看守が申立人の顔に平手打ちを加えるなどの行為に出た点について考察すると、本件当時既決囚として大阪刑務所で服役していた申立人は京都地方裁判所第二民事部書記官室において、申立人が当事者となつている民事訴訟事件の訴訟費用の予納額に関し、裁判所書記官秋山勇造が当初告知した金額には誤りがあり正しくは右金額を上まわる予納が必要であると述べたのに憤慨したすえ、同書記官の執務机のすぐ近くで声高に同人を罵倒し、攻撃的なふるまいを見せたこと、そこで、高橋看守部長が申立人に対し秋山書記官の指示に従うよう説得するとともに、申立人の興奮をしずめようとしたのにかかわらず、申立人はますます言葉を荒げて同書記官に暴言を浴びせたこと、そのため右書記官室全体に異様な雰囲気がかもし出され、申立人の挙動に恐れをなした女性速記官が職務を中断して別室へ逃げこみ、秋山書記官の態度にも恐怖心を抱いている様子が顕著にあらわれていたこと、その際申立人は手錠をかけられたままの手にボールペンを握つていたが、高橋看守部長は、申立人が冷静さを失つて右ボールペンで秋山書記官に危害を加えるおそれがあると判断し、これを取り上げようとしたこと、しかるに、申立人が力ずくでボールペンを離そうとしなかつたので、ボールペンが折れてしまつたところ、申立人は「おれのボールペンを折りやがつたな。」と難くせをつけるなど反抗的な言動に及んだこと、申立人は当時手錠や腰なわで拘束されており、看守が腰なわを引張れば申立人を秋山書記官の席からひき離すことができなかつたわけではないものの、申立人が高橋看守部長の口頭による注意に耳をかそうともせず、立てつづけに暴言を吐き、ついには同看守部長にもたてつくなど激するに至つた成行きに徴すると、もはや尋常な手段では申立人をしずめるのがきわめて難しい状況にあつたと窺われ、一方、本件書記官室では主任書記官・藤岡二郎ら数名の職員がそれぞれの職務に従事していたところ、前記のように女性速記官が職務を中断して持場を離れざるを得なかつたり、秋山書記官がその執務を妨害されるに至つたのはもとより、他の職員も平静に執務できない事態となつていたこと、そこで、長野看守は、もつぱら申立人の暴言や反抗的態度を制止し、受刑者の看守護送を担当する者としての職務上の義務を果す目的で原判示のような平手打ちを加え、申立人に平常心を取りもどさせようとしたものであること、興奮のあまり荒れつづけている申立人をそのまま放置していた場合秋山書記官ら職員の事務の遂行に与えるであろう妨害の程度・態様と長野看守の行為によつて申立人が受けたと認められる苦痛とを比較考量すると、同看守の措置が申立人を制止するため最善の手段であつたか否かはともかく、少くとも、刑務官たる同看守に与えられている職務権限の範囲を逸脱するものであつたとまでは認められないこと等の諸点を総合すれば、長野看守の行為につき違法性を否定した原決定には、所論のような違法・不当のかどがあるとは認められず、所論は採用できない。

従つて、申立人の付審判の請求を棄却した原決定は正当であり、本件抗告は理由がないから、刑訴法四二六条一項により主文のとおり決定する。

(萩原壽雄 角谷三千夫 鈴木清子)

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